(bachuchuruから)
ミナト~
(bachuchuruから)
俺、老人苦手。
「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。
老人慣れしてるヤツってスゴイ。
電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。
年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。
敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。
胃が痛くなる。
親がいなくなると、話題ゼロ。
田舎帰るの嫌い。
で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。
高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。
ところが、
去年、じいちゃんが死んだ。
葬式はさすがに帰省。
正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。
ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。
それから一年。
親父がいきなり
「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」
発言。
いやいやいやいや、ないないない。
とか、とても言えない。
親父曰く、ばあちゃんは、このところ体調を崩しがちで、入退院を繰り返していて、
一人で暮らしていくのは厳しいと医者から言われたらしい。
いや、うん、でも、えーと。
俺だけではなく、何となくどんよりとした空気が家族に流れる。
誰も反対しなかったけど、なんかみんな歯切れが悪い。
母さんも「部屋をどうするの」とか「手すり」がどうとか、ネガティブ発言。
妹は「なんでウチなのー?お父さん末っ子なのにー」とか言って雷落ちる。
で、先月、ついにばあちゃんが福島から東京の我が家に越してきた。
母さん余所行きの笑顔。
妹、部屋から出てこない。
俺の部屋にじいちゃんの仏壇置かれる。夜怖い。
福島の家は売って、荷物もほとんど処分したみたいだけど、ばあちゃん、変な自転車持ってくる。六蔵って書いてある。
すげぇ古い。じいちゃんの形見っぽい自転車。錆びすぎ。ちょっと邪魔。
そんな感じで、ギクシャクした生活が続く。
母さんと気の使い合い。
たまに作るばあちゃんの飯の味付けがイマイチ。出てくる料理も見慣れない。
家でリラックスできない。
ばあちゃんもばあちゃんで、あんまり喋らない。
2週間前のこと、うちにばあちゃん宛の手紙が来る。
入院してた病院の看護婦さんかららしい。
その看護婦さんはじいちゃんが亡くなるときも立ち会った人みたいで、
手紙の内容は、まぁなんつーか、その時のことをつらつら。
じいちゃんの最期はとても感動的だったらしく、
ばあちゃんがじいちゃんの手を握りながら、
「もっと一緒に暮らしましょうよ。もっとお話しましょうよ。
もっと私を怒ってくださいよ。もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。
死ぬときは一緒ですよ。もっと一緒にいたいですよ。ずっと一緒ですよ。」
と何度も何度も語りかけながら亡くなってたらしい。
10代で結婚し80年連れ添った二人に凄く感動した、という内容が9割で、
あと1割、新しい環境で元気にやっていますか?という手紙だった。
その日の夕方、ばあちゃんが我が家を震撼させる発言をした。
「自転車の練習をしてみようと思うのだけど、ユウちゃん教えてくれる?」
ユウちゃんは、俺。
ばあちゃんは90オーバー。
さすがに止めた。
ばあちゃん、自転車経験もちろんゼロ。
先月まで、病院でリハビリとかしてた人。
家族、総出で止めた。
全然、折れない。唯一の戦前生まれ。
朝には母さんが諦めたように「ユウちゃん頼むね、見てあげて」と言った。
あと、「絶対絶対絶対、ケガさせないでね!寝たきりなんかになったら、ほんとに困るからね!」と小声で念押し。
その日から、近所の公園で俺とばあちゃんの不毛な特訓が始まる。
話なんて、そんなしたこともないから、黙々とやる。
敬語。目、合わせない感じ。
やや呆れ気味で、練習開始。
はっきり言って、全然乗れない。
足をペダルに乗せる段階から無理。
跨いでサドルに乗るとこまでに2日費やす。
ペダル漕ぐとか、全然別の次元。
二日間、俺はひたすら自転車がこけないように支え続けるのみ。
毎日帰り道、10分間のばあちゃんとの会話が苦痛。
「今、学校ではどんな勉強をしてるの?」
「ユウちゃんは昔から、算数がよくできたからねー」
そればっか。
じいちゃんの自転車がガコガコガコガコいう音ばかりが目立つ。
三日目にして、俺ギブアップ。
買い物行くのを理由に、帰りはじいちゃんの自転車に乗って、先に帰ってくる。
んで、気付いた。
サドル高すぎ。
油をさして、錆びだらけの自転車のサドルを一番低くする。
翌日、どうにかこうにか、跨ることができる。
「ありがとね、ユウちゃん、ありがとね」
拝まれる。
でも90歳のバランス感覚は風前のともしび。
漕ぐとか本当、別次元。
なのに、めちゃくちゃのハンドルさばきで漕ごうとする。
俺、自転車支えるっていうより、抱えてる感じ。
全身筋肉痛。
この頃になると、帰り道は第二次世界大戦話。
空襲とかを家財道具を抱えて逃げまどった話とか聞くと、自転車くらい乗れる気がしてくる。
10日する頃には、どうにか漕いでる。
ただ後ろは支えてないと絶対無理レベル。ふらふらなんてもんじゃない。ドリフだ。
で、ある日、変な石に乗り上げちゃって、
支えてたけど、二人で転んでしまった。
ばあちゃんは思いっきり足と肘とこめかみの辺を擦り剥いた。
血が出てる。
死んだんじゃないかって本気で思った。
救急車呼ぼうかと思った。
ちっちゃい子どもが転ぶような微笑ましさは全くない。
俺、さすがにショック。
ばあちゃんも、とても怖かったようでショック。
家に帰って、母さんに一方的に怒られて、俺は思わず部屋で泣いた。
その日の夕飯、ばあちゃんが話す。
じいちゃんが病気になるまでずっと自転車で町内の牛乳配りをしてたこと。
それは割と町内でも有名で、手紙をくれた看護婦さんも、そんなじいちゃんをよく見てたこと。
六蔵さんの自転車の音がすると元気が出ると評判だったこと。
そんなじいちゃんの自転車に乗れるようになって「心配しないでね」って「みんなも元気で」って
町のみんなに手紙を書きたかった、と。
福島で生まれて、福島で生きてきた。
90年暮らした土地を離れて、人生の最後に、俺んちに来たばあちゃん。
「んだ、全然だめだったぁーって手紙書くからねー。ユウちゃんありがとねー」
と言う。
次の日、昨日言った通り、練習は無し。もう無し。
洗濯物を畳んでるばあちゃんに、何か言いたいけど、何も言えない。
すると夕方、親父がスゴイ勢いで帰ってくる。
「ユウ、庭でコレつけろ!ばあちゃん、自転車に補助輪つけっから!
もう一回乗ってみろ!」
親父、補助輪買ってきた。
それを見て呆れた妹は、バレーの練習に使ってるサポーターをばあちゃんに渡した。
母さんの夕食のメニューがほとんどタンパク質中心になった。
バカ家族。
それから、我が家では夕方になると、家族総出で公園。
公園で自転車の練習。
そしてついに昨日、俺が支えることなく、15メートルくらい漕ぐことができた。
それを見て興奮した母さんが、ダッシュで家に戻って、息を切らせて公園に戻ってきた。
「ビデオ!お父さん、ビデオ!」つって。
で、まるで我が子の自転車デビューを撮影するかのように、
90歳のはじめての自転車を撮影。
公園の端から端。
「ばあちゃん、手離すよ!行け!」
ばあちゃんがカメラを持ってる親父のところまで、必死に自転車を漕ぐ。
ヨロヨロと。ガタガタと。でもまっすぐと。
「行けっ!行けっ!」
「いいぞっ!いいぞっ!」
ばあちゃんの後ろ姿に、声つまる。
親父の声も、裏返ってる。
20メートルくらい、新記録を漕いだ。
すげえ。すごい。すごい!
親父のカメラの前で半分こける感じで自転車を降りて、ばあちゃんはカメラの前にピースして大笑い。
俺は、ばあちゃんに何か言おうと駆け寄るけど、声にならなくて、
目を反らした先の自転車に書かれたじいちゃんの名前を見て、もう たまらなくなってしまった。
骨張って、角張って、マジックでしっかりと「六蔵」って書かれてた。
あの日、死んじゃったのは、この人なんだな。
なんで、死んじゃったんだよ、じいちゃん。
ばあちゃん、自転車乗っちゃったんだぞ、って。
その日、撮ったビデオは、家で再生すると、ブルブル震えすぎで、とても見れたもんじゃなかった。
親父、感動しすぎ。
もうスタートから、涙ぐんじゃって、ばあちゃん ぼやけて見えなかった、らしい。
仕方ないから、福島へは写真を送ることになった。
それからも ばあちゃんは、ちょっとした出先に六蔵自転車で行く。
もっと一緒に暮らしましょうよ。
もっと色々なところ旅行に行きましょうよ。
もっと一緒にいたいですよ。
ずっと一緒ですよ。
を体現してるみたいに。
どの仕事も続かず、50代になっても引きこもり状態だった知人男性が、最近働き始めた。宅配業務だ。数週間後、その男性が嘆くのを聞いた。
「上司は、人の働きたがらない早朝や深夜便ばかり俺に押し付ける。得手勝手な連中ばかりだ」
そりゃそうだろう。50代無職の未経験者を雇う立場を考えれば、とりあえずは人手の空き時間をそれで埋め、使い勝手のいい20代に最も長時間の希望時間帯を提供しようとするだろう。
「人を何だと思っているのか」と憤る男性に、「仕方がない。頑張ろう」と励ましつつ、この「俺様」意識がどの仕事も長続きさせない核になっていることに、本人はいつ気づくのだろうと思った。
自分の思う自分の社会的位置と、社会で値踏みされる位置は違う。自任と他者評価は違うことに疎いタイプが少なからずいる。
テレビ業界ではアシスタントディレクターという位置は、一応、低いことになっている。
諸々の雑用もこなす立場だ。その20代女性に私は用事を頼んだ。
「今日、私が選んだ写真をデータでください」
「わかりました」
そして、私のメールに写真が届き、用事は終了…となる、はず、だった。
ところがその女性は違った。
インターネットに私の写真を50枚上げ、私がそれをダウンロードする手法をとった。
私が選んだ写真は5枚だ。
なぜボツ分を含む大量のデータをダウンロードさせようとしたのかはわからない。
ただ、その女性はデータを1個のファイルに圧縮して送らず、50枚の一枚一枚をそれぞれ50回ネットに上げ、私にダウンロードする案内をした。
その行為をするほうも大変だったろうが、ダウンロードするのも並大抵ではない。なんせ、そのほとんどが不必要で、その是非はダウンロードしないことには判断がつかなかった。
「私が選んだものだけを、メールで添付してください」と再度、連絡した。
すると、私が選んだものではなく、番組で使用したものが添付で数枚届いた。
そこで私は、この用事は彼女には無理であるという判断を下した。
「私が選んだものが添付されていません。次回、SDカードごとください」と連絡した。すると、ここから彼女の攻勢が始まる。
「本番で使用した、〇〇〇〇番と、△△△△番を送りました」と返事が来た。
つまり、「自分は間違っていない」と、画像の数字を羅列することで反論したのだ。
「いーえ。あなたは間違っている」と、ここで相手にしたら、私は泥沼に入ることを経験で知っていた。そもそもその女性は私の部下でもない。
その女性の上司に連絡を取った。
「まず、インターネットに上がっている私の写真を消去してください。それと、SDカードをください」
「はい」
それで済んだ。
写真をネットに勝手にあげたこと、写真を本人に送るという簡単な用事ができなかったこと等、その後上司から注意されていることは容易に想像できた。
だが、それを素直に聞くだろうか、という私の予感は的中した。
その女性からメールが来た。
「次回、SDカードをお渡しします」
そこには、手数をかけた詫びも、ネットに写真をあげた詫びもない。文面にその女性の憤りが見てとれた。
そしてその日。
何人もいる番組責任者が私の楽屋に詫びを言いに来た。
「今日、SDカードをお渡ししますので」
その後、女性が番組用カメラを持参し、言った。
「写真を選んでください。CDに焼き付けてお渡しします」
「SDカードをくれるのでは?」
「個人のものですので」
「あなた個人のもの?」
「いいえ。スタッフの」
「そのスタッフが、今日、SDカードを渡すと言ったんだけど?」
「他の仕事の写真も入ってますので」
「その写真はすぐに入り用のもの?」
「いいえ」
「見られて困るもの?」
「いいえ」
「では貸してくれる?」
「許可を取らないと」
… 会話をしているようだが、私は女性の意地と格闘していた。
「渡したらええやないか!」と、会話を聞いていたディレクターが怒鳴った。
しかし女性は引かない。
「では、許可を取ってから」と渡さず出て行った。
彼女以外の全員が「渡す」と言ったSDカード。彼女はいったい誰の許可をとりにいったのだろう。
そばにいた別のスタッフが言った。
「はい、というのが癪に障るから抵抗しただけ。すぐに許可が取れたといって持ってきます」
数分後。
「許可が下りました」と彼女は持ってきた。
詫びは当然、なかった。
しばらくして顛末をどこからか聞きつけた上司が、ひれ伏さんばかりに詫びに来た。
「今日に至ってまだそんな…。あの意地や頑なさはいったいなぜ」とため息した。
私にはわかる。
50回ダウンロードせよ、と指示した自分に従わなかった私への怒り、だ。
その怒りの根源には、「この私」がある。未経験者の50代男性の「俺様」と同じだ。
下働きとされるアシスタントディレクターもまた、自任と他者評価の温度差に憤る。
「ネットにあげる圧縮方法も、知らないなら聞けばいいのに、聞かないんです」嘆く上司。
「この私」がある以上、自分の正しさに執着するのも驚くことではなく、他人にうかがいをたてる、という謙虚さを願うのも空しい。
家でSDカードを見て驚いた。
変換用メディアがないとパソコンで開けないタイプのSDカードだった。
「これがないと見られません」と、メディアチップごと貸す方法もあったのに、一切触れずSDカードのみを黙って渡すところにまだ女性の意地が届いた。
私がこれまで出会った、たくさんの「この私」系女性たちを走馬灯のようによぎらせながら、ため息をついて、家電店に出向いた。
この時代、「データちょうだい」「はい」で、一分で終わる用事が、「この私」にかかると、10日を要し、大勢の責任者たちが詫びで右往左往することになった。
「この私」だけが、平然としている。
プライドの高い部下に共通してある「この私」と「俺様」の真の恐ろしさは、本人が生涯それに気づかないまま人生を終える可能性があるということ。憤りは自分に向かず常に他者に向く。私はそういうタイプには距離を置き怒らない。治らないし面倒だからだ。
うちのばーちゃんは、人が来るととにかくお茶を出す。新聞の集金だとかNHKの集金だとかそういう人でもだ。その技術がすごい。普通、ちょっと来ただけの人がお茶を出されそうになったら話を切り上げて帰るもんだ。用事済ませたら帰りたいだろう。仕事中なら尚更。しかし、ばーちゃんは帰さない。いつのまにかお茶を入れて出している。お茶を出すよという気配を出さないまま、いつのまにかお茶が出ている。そもそも常にポットに湯が入っている。あの押して出す古いポットね。軽く20年は使ってそう。っつーか俺が小学生の頃から変わってないからそれ以上。この前、観察していたら、相槌をしながら話の腰を折らず、話を相手に続けさせる。その間に、急須に手早くお茶の葉を入れる。そうだね、そうだねとかなんとか言いながら、急須をくるくる回してお茶をジャー。そのジャーを見た瞬間、来客は話を切り上げようとするものの、ばーちゃんは、それで**は##なの?などと合いの手を入れ、相手が、それは**で・・・と答えたあたりで、お茶をポンを目の前に出す。これで来客はお茶を飲んじゃう。ばーちゃんは聞き上手。話が止まらない。お茶が無くなりかけると追加のお茶が入る。追加のお茶の具合で、相手の暇具合を察知し、漬物とかみかんが追加される。場合によってはうどんが茹でられたりも。そしていつのまにか上がらされ、コタツin。そういう人たちをたくさん見て来た。いつのまにか酒まで飲んでコタツで寝る人まで。
ばーちゃん恐い、恐いよ、そのもてなし技術。何者だよ。俺もたまに行くと、お茶攻撃を受ける。入れてくれたから飲む→追加される→入れてくれたから飲む→追加される。このループ。腹がお茶でパンパン。でも、いつの間にかそうなってるんであって、途中で苦しくなる訳でもない。知らない間に飲まされてる。ばーちゃんに言うような話じゃなくても言わされてる。CIAとかFBIとかに訓練されてるんじゃないかとすら思える。そして帰りがけには野菜とか米とかのお土産を持たされる。俺がお茶でトイレが近くなっているスキに玄関に置かれている。靴履いている間にお土産の話されるから逃げられない。ばーちゃんちの蛍光灯を交換しに行っただけなのに、3時間は会話&お茶。帰りには食料満載。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえもっと恐ろしいものの片鱗を味わったよ。